どうも、あかねです。
今回は自己紹介も含め、
「元から独立を目指してなかった私が
なぜ独立を目指すようになったのか?」
社会人経験から独立までのきっかけをお話ししたいと思います。
なかなか超大作なので興味があるマニアックな方だけ読み進めて下さい笑
20歳のフレッシュなワタシ笑
20歳の時、お菓子の専門学校を出て、パティシエデビューした私。
県内で美味しいケーキ屋さんと言われている場所で就職が決定し、自分で言うのもなんですが、まあまあ成績は良い方で手の器用さに自信もありこれからメキメキと上達していく予定でした。
ところが働き出して2ヶ月目。
上司の態度が一転し、それまで優しかったのにゴミ箱を蹴っ飛ばし、被っていた帽子をはたかれ罵倒されるようになり…
職場の人に聞くとどうやらこの上司は最初だけ優しくて、ある程度経ったら急に態度が豹変すると有名な人らしく
「ふざけんなよお前💢!!」
こんな風にミスをすると毎日ブチギレる男性上司でした。
これが初めての就職先。
毎日15時間労働、週6勤務で月収15万円。
忙しい時期は2週間休みがなく働き、毎日罵倒が続いて1人暮らしもしていて疲れて帰ってくる日々。
食べるより眠くて持ち帰ってきたホールケーキを食べて倒れるように寝て毎朝6時起きの生活でした。
「最低3年は続けるのが当たり前」
社会のルールでそう聞いた事があって、辞めたくてもすぐに辞めるのは
”社会人としてクズだ”
そう思って我慢して泣きながら働いてました。
だけど心はどんどん病んでいき、
「自分の作ったケーキで人を笑顔にしたい」
そんな気持ちで目指したパティシエのイメージは崩れていき…
休みの日は実家に帰り、家族とテレビを観ていてもどこか違う場所にいる感覚で頭の中は、「生きてても楽しくない」いつもそう思ってしまうほど辛い日々でした。
ついには毎日笑えずストレスで目の下がビクビクと痙攣。
そこまでくると自分でも心配になり精神科に行きました。
結果はハイと鬱を繰り返す「躁うつ病」と診断され、薬を飲みながら仕事に行くもエスカレートするパワハラ。
社長や店長に相談しても変わることはなく続きました。
時には薄力粉をふるいにかけながら、
「お前の代わりならいくらでもいるからな~。お前もふるいにかけられるぞ。」
こんなことを言われるのはザラでした。
そして半年ぐらい過ぎた頃、私がバースデーケーキに乗せるアンパンマンクッキーを作っているとまな板の横にナイフを突き刺して上司は言いました。
「こんなもん5分で作れ!!!」
こんなことを言われもうこの頃の私は内心、
(こんなもん??無理だわこの人・・・)
と思い、一気に我慢してたものが溢れ出してついに上司に
「会社辞めます」
と今までの我慢していた気持ちも吹っ切れて言ってしまいました。
そう言い放った瞬間、
「はあ~~~~」
と、でっかい溜息をつかれ
「あー店長?なんか○○(私)が~辞めたいとか言ってるんだけど」
すぐに店長に通報されるという…笑
そして、社長と店長が仕事終わりに別店舗から飛んできて話し合いになるも、もう私に続ける元気はなく退職を決意しました。
ここまでが初めての社会人デビューの話。
その後はしばらく病みすぎて働けなくて実家に帰った後、バイトをしながら過ごす毎日でした。
そんな生活を送っていたので私は完全に自信を失って、パティシエになってからの夢がなく、これから自分には何ができるのか?分からなくなっていました。
とはいえ一生働かずに実家に居続けることはできないので、
“とりあえず自分にできるのは飲食業だけ。”
そう思って次は、調理関係の仕事の面接を受けました。
面接で言われるのはやはり「どうして半年で辞めたの?」ばかり。
それで何度か面接に落ちることも。
ネットにはあまり前の会社の悪いように言わない方がいいと書いてあったので、悔しいけどパワハラの事は話さず何とか上手く話して面接は合格に。
企業のビルの中で300人以上のランチを作る
次の就職先となったのは調理の仕事。
300人以上のランチを作るのに、作るのはたった2人。
盛り付けはパートさんですが私と料理長だけで調理をしていました。
ここも毎日戦場のような職場。
またしても上司の苛立ちがヒートアップ。
そう、またパワハラの職場でした。
ある日、分量を間違えてしまった時。
上司がレシピが書いてある紙に力いっぱいボールペンで穴があくほど丸で囲み、
「これが読めないんですかァ~?あなたはバカなんですかァ~?日本語読めますかァ~?💢」
とブチギレてきたんです。
でもこの時の私は、前の職場の経験があって耐性ができていたため、
「すいません、すいません、すいません・・・」
と、心を”無”にして謝り続けるという技を習得していました。
ミスをする自分も悪いけど、頻繁に続くとさすがにムカついた。
そんな時は、冷凍庫の部屋で材料を取りに行くフリをしてブロッコリーの袋を投げつけていました笑
そんなこんなでしんどい時は周りのパートのおばちゃんもいたのでかばってもらえたりと何とか1年が過ぎ、、
だけどパワハラは続くし体力的にも長くは続けられない。
そう思ってこの職場も去る事を選びました。
この時23歳で漠然と普通の人と違う人生を送りたい。
「いつかやりたい事たくさんやるんだ」
何となくそう思ってましたが・・・
ここは地方の田舎。
友達にそんな話をしても、
「どこ目指してるの?」
と笑われたり興味を持つ人は周りにはおらず…
そして、私も思っているだけで具体的に何をしたらいいのか分からないし、怖くて行動はしていませんでした。
「今までの経験を生かしながらのんびり働きたい」
次に働いたのはセレクトショップの3階にあるカフェ
その次に働いたのは、セレクトショップにあるカフェでした。
お店にはモンクレールやイルビゾンテ、マリメッコなどおしゃれなブランドがたくさん。
好きなブランドを見ながらカフェで働くのは楽しくて、今までの仕事が過酷すぎてこの職場ではとても楽しく過ごす事ができました。
そしてこの職場ではパン教室やプリザーブドフラワーレッスンもしていて、
「お菓子教室の先生をしないか?」
とある時、上司に提案され少人数でカフェが落ち着いている午前中にお菓子作りを教えたりもしていました。
それでもだんだん任される仕事は増えてきてやりがいはあるけど、一緒にいる同期の子はあまり任されていないのに同じ月収15万円。
ボーナスもなし。
この時初めて頑張っても頑張らなくても給料が同じ事に何だか違和感と不満を感じ始めていました。
この職場は3年ほどいましたが、毎日変化のない日々で。
教える立場になるほどストイックな私は”もっと学びたい”そう思った時に環境を変えたくなってまた転職を考えました。
次に転職したのはまたカフェ。
雑貨屋と併設されているところでした。
ジャズが流れる落ち着く空間。
カフェで働くほどコーヒーが大好きになり、コーヒーの香りに包まれながらのんびり働ける環境。
そんなに席数もなく、今までの飲食経験も長いのですぐお店を1人で任される事になりました。
メニュー考案やドリンクの提供。
社長に自由にさせてもらえていたのでのびのびと働くことができました。
他にもイラストが得意だったので店内のPOPやボードデザイン、包装紙のデザインも任されて毎日が充実していました。
新メニューを次々に出して、売上と来店数は右肩上がり。
この職場では社長にも気に入ってもらえていましたが、ここでも事件が起きて…笑
あるときスタッフ同士が人間関係で揉めていて、私はみんなに仲良くして欲しくて間を取り持っていましたが、何故か社長に、
「○○(私)が悪口言ってたんだって?」
と勘違いされ、否定しても信じてもらえず…
意味が分からないのと同時に今まで社長以上にカフェを大事にしてきたのに、”頑張っててもちゃんと見てくれてないんだな…”そう思うと一気に虚しくなり頑張っていただけにやる気がなくなったのを今でも覚えています。
当時26歳。
この頃、親の干渉も強いので再び一人暮らしを始めることに。
それと同時に年齢的に結婚も意識する頃で、当時付き合っていた彼にプロポーズをされましたが、この時の私はその人との未来を想像した時に、
”このまま普通に結婚して、子供作って歳を重ねる…?”
と思ってしまいそれが幸せという人もいると思いますが、私には物足りなく感じ、断ることに。。
その後も働きながら、お客さんと話しているうちに常連さんができてきて中には仲良くなって一緒に休みの日にお客さんの家でBBQをしたりバドミントンをしたり。
充実していて職場の人間関係も良くこの会社は大好きでした。
この頃から貯金がぐんぐんなくなっていく…
引っ越してしばらくすると次に友達の結婚ラッシュが続き、お祝いしながら貯金は徐々に削れていきました。。笑
大親友はなんとハワイで挙式。
この時の私は、なかなか海外に行く機会がないと思ったので会社に頼み込んで何とか連休を頂いて行くことになりました。
憧れていた初めての海外。
海がめちゃくちゃキレイで”世界ってこんなに広いんだ!!”と感動したのを覚えています。
この頃から
”もっといろんな場所に行ったり、いろんな経験をしたい!”
そんな気持ちがウズウズし、好奇心が刺激されていきました。
ハワイなのでほとんど日本語でもいけましたが、OKとセンキュー、ソーリーしか言えないのでもっと英語が話せたらな、とめちゃくちゃ悔しくなった記憶があります笑
このくらいから海外に憧れ、インスタを眺めては理想の生活を夢見る日々が始まり。。
美意識が高そうな綺麗な女性が、海外を旅行したり好きな物を買って自由に生活している写真。
「いつか、いつか、、」
と仕事を頑張っていたら、したい事ができないまま気付けばアラサー。
「どうしたらこんな風になれるんだろう?」
「このまま仕事だけで人生終わるのは嫌だ」
こんな風に思いネットで【副業】について調べ始めたのはこの頃でした。
そして、しばらくしていきなりの交通事故。
この頃の私は笑っちゃうくらいまあついてなくて、お次は交通事故に遭います…😭
ケガはなかったですが、私の愛車はぐちゃぐちゃになり、急遽新車を購入する事に。
「まあ長く乗ってたから替え時か…」
と気持ちを切り替えていましたが、まだまだ出費は続く。。
そしてこのタイミングで携帯も破損したり。🙄
友人とドライブに行くのにガソリンを入れている間、車の中で一緒に連れてきていた友人の愛犬が私の膝の上で、う〇ちをしました笑
まさか膝の上でう〇ちをされると思っていないので、私はびっくりして車の外に出て、とっさに携帯を車の上に置いてそのあとそのまま忘れて高速に乗ってしまいこんな状態に。。
高速で携帯を落とすとこうなります。笑
もうこれはスマホではなく鉄板でした。笑
と、アホすぎるエピソードですが、とにかくこの時期の私はついてない。
とことん不幸が続きました。
でも今思えばこの出来事が環境を変えるきっかけだったような…
引っ越し、結婚祝い、新車購入、スマホ。。
こんなに色々重なったのでぐんぐん貯金はなくなっていき、初めてお金に危機感を覚え今の職場ではこれから生活していくのはきついなと思った時に、
「今の仕事は好きだけど、もっと収入を上げないと生きられない」
こう感じた私はすぐに次の転職先を探しました。
そして見つけた先がエステの仕事。
エステティシャンになる
これまでと全く違う業種の脱毛のエステティシャン。
社会人になりたての頃は飲食業界でしか働けないと思っていただけに異色すぎてドキドキしました。笑
でも飲食業より給料はよく、ボーナスもしっかりあります。
美容が好きで思い切って入社しましたが、専門職なので本社で指導を受けたり、基本知識や技術を徹底して覚えて、脱毛を覚えていきました。
完全に女性だけの空間なので雰囲気は女子校って感じでしたね。
そしてギャルっぽい人や気が強い人多めの印象。
“パティシエの時クリームを塗っていた私が、今はジェルを塗っている、、人生何起こるか分からんもんだなぁ”と思いながら、新しい環境で頑張っていました。
もうこの頃には接客業が長いので、話すのは得意になっていてどんどん全身脱毛の契約に繋げたり、中には指名制ではないお店なのに私に脱毛してほしい、と指名される事もありました。
同じ価値観の友達との出会い
この頃、地元の友人よりも夢を追い求めていて価値観が似ている県外出身の友人と出会うきっかけがありました。
この友人がいなかったらきっと私は夢を追いかけるのは諦めていたかもしれません。
一緒にそこから休みの日は副業について調べて、FX、仮想通貨、バイナリーオプションを少額でビビりながらやってみたりしました。
もちろん5,000円、1万円とか一瞬で吹き飛びました笑
”自分には危ない世界だ、、”
と思ってその辺はすぐ諦めましたね。
そしてその頃、たまたま22歳で億超えて稼ぐお金持ちの知り合いがいて、
「どうしたらお金って稼げるの?」
って聞いたら、
「資金突っ込むだけで自動でお金増えるツールあるよ」
とサラリと言うので、怪しく思いながらも楽に稼ぎたい私は仮想通貨に変換して10万円(最低価格)を突っ込みました。
ほんとに増えるのかな?とドキドキしながら毎日スマホを眺めていて、少しずつ増えては、
「おおお!」
となっていました。笑
ちょろいですね笑
しかし、そのアプリはある日急にログインができなくなって預けていたお金は引き出すことができず。
あれはなんだったのか、完全に詐欺でした。
まさに情弱というやつ。笑
それでもまだまだ稼ぎたい欲が上がり、ハローワークに行くも私の地元ではなかなか15万円以上の給料をもらえる会社はないと言われ、隣の県の方が給料が良い職場が多かったので引っ越しをすることに。
我ながらものすごい行動力だなと思います笑
そして、引っ越してすぐに太陽光発電を販売する営業職の仕事を見つけすぐに面接をし、その場で採用が決まりました。
もうこの頃には社会の経験もある程度してきて、接客業が長かったおかげでコミュニケーションお化けと言えるくらいには人と関わるのが好きになっていたのできっとそういう部分ですぐに採用が決まった感じで嬉しかったです。笑
エステティシャンから営業職へ
営業の仕事はインセンティブがあり、支店長になると月収1000万円!
当時の私はとにかくお金を稼ぎたかったのでその数字だけに憧れ営業職に就きました。
絶対に営業の仕事だけはないと思っていた20歳の頃を思うと、お金がないって怖い!笑
これはなんで撮ったか覚えてないけど、みんなで撮った写真。笑
そして、入社したら最初に台本を渡されて「暗記しとけよ」とだけ言われ全然覚えられず半泣きで会社に行ったあの日が懐かしい…
同期が他に2人いましたが、その2人はさっさと覚えてセールスの練習をしてて、完全に追いてかれて焦りまくり。
関西弁のマネージャーがいましたが
「こいつ話にならんわ」
みたいな扱いを受けてたり。。
それでも負けず嫌いな私は2日かけて何とか覚えましたが、
「でもこんな台本いるのかな?」
と思いながら、ひたすら太陽光発電の飛び込み営業をしていました。
それから入社5日目。
毎日アポが取れてなんと営業成績全国1位に。
社長から電話がかかってきて、関西弁のマネージャーも一気に態度が変わり
「やるやん!」
と言われた時はそれまでめちゃくちゃ態度が悪かったのにスカッとした気分になったのを覚えています。笑
全国1位の成績を取った私は『もっと話すのが上手くなりたい!』そう思ってさらに営業の本を買ったりして上を目指していました。
その後はすぐに主任になれて給料は上がっていきましたが、それはそれで今度は毎日仕事が終わるのは夜11時くらいになり、昇格するほど出勤時間も早くなったり、休みが減っていき…
こんな状況だったのでただでさえ休みの日はゆっくり休みたいのに、会社のイベントでフットサル大会で東京に行ったり、忘年会で神戸に行ったり催し物をやらなきゃいけなかったりととにかく疲れの取れない日々でした。
そして追い打ちをかけたのはどこの職場にもいる嫌なヤツと接しないといけない毎日で。
ただ働いているだけなのに、
・無意識に傷つけてくる人
・変なマウントをとってくる人
・ズカズカとプライベートを突っ込んでくる人
本当に働いてて嫌で仕方なかった記憶が…笑
それ以外にも自分に自信があるのかエレベーターの中で壁ドンしてくる歳下の同期もいたり。
キモすぎて毎日吐きそうでした😂
営業職にいた時はおかげで固定給料+インセンティブをかなり稼いでいたので、この頃の私は時間がない以外はお金に困ることはなくそういう意味では満足してましたがあまりにも休める時間がないのでもうここまでくると社会で働き続けることが限界に達しました。笑
ここにくるまでにとにかく働いて、とにかく転職しまくる人生だったのでさすがに
「はやく自由になりたい!!!!」
その気持ちが一気にMAXになり全て行動力に変わっていきました。
それをきっかけに本格的にネットビジネスを考え始めます。
本格的にネットビジネスを始める
その後もブログ、物販、と挑戦して挫折を味わい。笑
もう自分には何もできないしビジネスとかやっぱり無理なのかなと疲れ果てていた時にコンテンツビジネスに出会います。
というかコンテンツビジネス自体は知っていたけど、自分にお金をもらってまで人に教えられる知識やスキルなんてないと決めつけていたせいで随分と遠回りしていました。
今考えるともっと早く始めてればよかったと思いますが、初心者の気持ちってほんとそんな感じなんですよね。
これはいまだに個別相談を開催していて相談を受けていても思います。笑
当時の自分とまったく同じところで悩んでるなあと🤣
そして、コンテンツビジネスを始めて結果的にどうだったかというと、たった数ヶ月で100万円を達成する事ができました。
ここまでだいぶ長くなりましたがこんな感じで本当に文章だけじゃ正直語れないくらいいろいろあった私がなぜここまで行動してこれたのかというと、
・仕事だけで人生終わりたくない
・お金に危機感を感じ、やるしかない状況ができた
・朝決められた時間に起きるのが嫌
・嫌な人間関係を断ち切りたい
・もっと自分を成長させたい
・大事な人を大切にしたい
・将来安心したい
・やりたい事に時間を使いたい
この思いがとにかく強すぎました。笑
もうほんとに社会に戻るのが嫌すぎて、崖っぷちの中がむしゃらに行動して初月で実績を取りに行った、これだけなんですよね。
独立は元からしたかった訳ではないですが今では、
”本当に求めていてずっとやりたかった事はこれだ!”
と感じています。
ネット上には同じ価値観や夢を持った人がたくさんいる。
そして、自分を必要としてくれてその人の人生をいい方向に変えるお手伝いをして感謝される。
もっともっと人間として成長していける可能性があって毎日ワクワクしています。
20代前半の過去の私のように、
「こんな風になれたらいいなぁ〜」
と思っているだけであれば人生は変わらず時間はどんどん進んでいくので、本気で人生変えたいのであれば今すぐ生活を変えた方がいいです。
これから私は目標だった月収100万円を超えてもっと知識をつけて500万円、1000万円を目指していきます。
レールをひいて先に進むので、もしあなたも目標が同じなら一緒に上がっていきましょう。
これを読んでくれたあなたが少しでも行動するきっかけになれば、と思います。
何か新しい事に挑戦するのは不安があると思います。
不安や行動したいけどどうしたらいいのか分からないのであれば、遠慮なく相談してきて下さいね。
かなり長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!